【脇指】 出雲大掾藤原吉武 / 長谷川氏重章所持之剣 一ノ胴ト摩付ト切落 (保存刀剣)ご案内終了

Wakizashi : Izumo Daijyo Fujiwara Yoshitake / Hasegawa uzi Shigeaki syozi no ken ichi no dou to suritsuke to kiriotosu (Hozon Token)

銘(表)
出雲大掾藤原吉武
銘(裏)
長谷川氏重章所持之剣 一ノ胴ト摩付ト切落
 
商品番号
WA-040
価格

ご紹介終了

鑑定書
日本美術刀剣保存協会 保存刀剣
時代
江戸時代/延宝頃(1675年)
刃長
40.5cm
反り
0.6cm
元幅
3.15cm
元重
0.65cm
先幅
2.8cm
目釘穴
2
武蔵国
金着二重鎺
 

白鞘入り

(解説)
堀川国広の門人で三条吉則の後裔である国武の子で、初め京都に住していたが後に江戸へ移る。
初め出雲大掾、晩年は出雲守を受領して法城寺一派との親交が深く合作刀も作る。
沸本位の、数珠刃や互の目大乱刃には、傑作が多いのは、当時の江戸の流行を取り入れた、注文作のためと思われる。
元禄7年5月没(1694)。
地鉄は板目肌、柾心あり地景現れ、大互の目乱刃、沸え微塵に万遍なくつき、砂流しまじる。
帽子は乱れ込み地蔵風となり、深く返る。
茎は生ぶ。
本刀は昭和刀剣名物帳に所載されており,長谷川吉武と命名されている。
 
【人物:長谷川重章】
   上級旗本 「従五位下朝散大夫 長谷川周防守藤原朝臣重章」
 
明暦3年(1657年)4代将軍家綱に11歳にて初目見えし、、万治元年(1658年)遺跡を継ぎ、天和3年(1683年)本所奉行、元禄七年(1694年)伊勢山田奉行に昇進する。
宝永五年(1708年)に山田奉行の職を罷免され小普請とされるが、享保四年(1719年)無役の上級旗本の席である寄合となり、享保14年に致仕(隠居を申し出)、享保16年85歳で死去する。
神社・仏閣等への多くの寄進を行い、信心深い人物であった事が、口上之覚書や文献にて分かる。

長谷川重章は、代々幕府の要職を務め、3110石取りで3000石以上の旗本は、旗本全体の5%としかおらず、数少ない上級旗本であった。

 

【取り扱い品】
金属工芸 (置物、花器、香炉)、武具 (兜)、武具 (鎧)、日本刀(太刀、刀、脇差、短刀、槍、薙刀)、お拵え、刀装具(鍔、目貫、小柄、笄、縁頭、)、漆芸品(ぬりもの)、蒔絵工芸、屏風 等
買取も随時いたしております。