【短刀】 和泉守兼定(十一代) / 慶応四年辰春(1868年)ご案内終了 

Izuminokami Kanesada / Keio Yonen Tatsu Haru (1868)

銘(表)
和泉守兼定(十一代) / 慶応四年辰春
銘(裏)
慶応四年辰春
 
商品番号
TA-068
価格

ご案内終了

鑑定書
日本美術刀剣保存協会 保存刀剣
時代
江戸時代 (1868年)
刃長
27.2cm(9寸)
反り
0.3cm
元幅
2.65cm
元重
0.70cm
先幅
目釘穴
1
金着一重はばき
 

短刀拵

(解説)
会津兼定家の先祖は美濃国の名匠、和泉守兼定(之定)と言われ、会津領主の芦名氏に招かれます。二代目は当時の会津藩主・蒲生家に仕え、後に藩主となる松平家などの大名の御用を代々勤めて、連綿と明治期まで同銘十一代を数える名家です。十一代兼定は父である十代兼定の子として天保八年生まれ、初銘を「兼元」、十六歳で会津藩の御用を勤めて文久三年、京都守護職の任にある主君松平容保の在する京都にて修行し同年、和泉守を受領、兼定と改名します。同年文久三年は十四代将軍家茂が3月に上洛、その警護の為に結成された浪士組(新選組の前進)も京都に駐屯していました。十一代兼定と新選組隊士の交わりは、京都に於いて始まりました。新選組副長:土方歳三が所持して最後まで奮戦した際の愛刀は、兼定の傑作です。明治維新後も越後加茂などで鍛刀し、明治三十六年に六十七歳で没します。本作は平造り、重ね厚く、刃縁沸強く、よく詰んだ柾目肌は、大和保昌派の鍛えを髣髴させており、良く錬れた柾目鍛えに沿って、地沸が微塵に厚くつき、佩表には沸映りが鮮明に立ちます。刃文 匂口深く表裏の腰元に喰違い刃、湯走り、金筋、砂流しなど目立ち、物内より帽子にかけて荒沸よくつき、帽子 掃きかける。 「慶応四年辰春」の年期を有する本作は、明治新政府軍との戦いが避けられず、会津藩が厳しい戦に突入するその時であり、若松城内に於いて主君の命により兼定も死を覚悟した上で、本作を作刀したことが伺えて、強靭な会津武士精神と名工・兼定の高い技量を今日に伝える優品です。 幸いにも本作は戦いに使用されなかったため、生刃が刃区に残っているほど健全です。会津最後の名工・兼定の確かな一振りです。

 

【取り扱い品】
金属工芸 (置物、花器、香炉)、武具 (兜)、武具 (鎧)、日本刀(太刀、刀、脇差、短刀、槍、薙刀)、お拵え、刀装具(鍔、目貫、小柄、笄、縁頭、)、漆芸品(ぬりもの)、蒔絵工芸、屏風 等
買取も随時いたしております。