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波千鳥蒔絵鞘短刀拵え
江戸時代には、備前の祐定家を名乗る家系は四、五軒あり新々刀期には、各々の家系より備前藩(岡山藩)のお抱え工を輩出し繫盛しました。 その中でも、宗右衛門家の五代目を継いだ祐定(後の伊勢守祐平)には、長男・横山佑盛(養子として七兵衛祐定家へ)と、次男・加賀介祐永(備前藩工)がおり、その長男・横山佑盛の養子として、本作の佑包は、七兵衛祐定家を継ぎました。
宗右衛門家の祐平と、その祐平の次男である、加賀介祐永(備前藩工)と、本作の佑包は、新々刀期の備前長船の三羽烏として、推奨されています。
横山佑包は、友成五十八代孫と称して、備前藩工も務め、天保六年から、明治五年までの年期作が遺っており、本作の明治四年は、明治政府が「廃刀令」に先がけて、「散髪脱刀令」(さんぱつだっとうれい)と言う、士族は帯刀しなくとも良いとする、法令を布告した年であり、備前の著名な代表工の祐包でもその後、制作数が激減しました。
本作は、元より切っ先まで、小板目肌が良く詰み、梨地肌の如く、細かな地沸が均等につき、精美な地金です。刃縁、匂い勝ちに明るく映え、刃文は拳形丁子に、大きめな丁子も交えて、小足がよく入り、華やかな刃文となります。帽子、品よく小丸に、やや長く返ります。
横山一門の得意とする、華やかな丁子刃の典型作にして、短い短刀へ、これ程の丁子刃を、焼き入れる技量は、名声の如く、新々刀の名手です。
付属する拵えは、鞘に波千鳥を金蒔絵で表し、赤銅魚子地の縁頭と小柄も千鳥図で、鐔も鉄地千鳥図として、纏めています。目貫は一羽の燕を、掛け巻きとする、風情ある短刀拵えです。